「盗賊の一味」「一味に加わる」など「一味」は、同じ目的をもった仲間のことを意味し、それも、主に悪事を企てる場合に用いられます。
これは、もともと仏教語です。
「源も水質も異なる、様々な川の水も、大海に流入すれば一味になる」と、お釈迦様は説かれました。
海水が、全て同一の塩味であるように、時や場所や人に限らず、御仏の救いは平等にもたらされるという意味です。
「同一の味」を表す言葉が、現代では、残念ながら、「悪だくみする仲間」に転じてしまいましたが、私たちは、同じ人間として、国境も民族も超えて、一致協力して世界共通の問題に取り組んでいきたいものです。