「退屈な日曜日」「退屈な話」など、何もすることがなく、暇をもてあましていること、つまらないという意味で使われる「退屈」。
これは、もともと仏教の言葉です。
仏道修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める心が退いてしまい、精進し努力する心を失うことを意味しました。
そこから、へこたれて気力が衰えることや、困り果てることといった意味になり、さらに、現代の意味に転じていったようです。
人生は、一度きりしかない尊いものです。
怠け心に負けることなく、たとえ苦難に遭っても、屈することなく、残された時間、命を無駄にしないよう、大切に生きていきたいと思います。